熟成肉の格之進

値段が逆転する市場で、誰が残り、誰が消えたか

江戸〜明治、移動手段だった牛がなぜ食べ物になったのか。格之進が生まれる前の家業の話

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この記事は、1999年創業・熟成肉のパイオニア「格之進」代表の肉おじさんと、ビデオポッドキャストプロデューサーのなにゆえ山本洋輔がお届けする「お肉と経営」のテキスト版です。

食の教養と経営のリアルに触れたい、会食の多いビジネスパーソン向けにお話ししています。

今回のテーマは、事業の前提が外から崩されたときに何が起きるか、です。株式会社門崎 代表 千葉祐士(肉おじさん)は、祖父と父が営んでいた牛の売り買いの仕事から話を始めます。運搬の道具だった牛が、鉄道とトラクターの普及で役割を失い、食べるものへ変わっていく。そのあいだに牛肉は鶏より豚より安い時代を経て、いまの価格順に逆転しました。供給が消えた市場で、誰が残ったのか。格之進が生まれる前夜の物語は、そのまま需要と供給の話になっています。

26年続いた会社の、その前から話を始める

番組の初回は、格之進の歴史をたどるところから始まりました。ただし話は創業年より前へさかのぼります。聞き手の山本洋輔(なにゆえ株式会社 代表)が、まず会社の年数を確認します。

肉おじさん:

はい、肉で世界平和、格之進の肉おじさんです。

山本:

よろしくお願いします。

ちょっとひょんなことからこの番組をやりましょうということで、やっていこうと思うんですけども。

特に肉おじさんがですね、普段語りきれないような話をもう延々と深く語っていただくという、そんな内容でできたらなと思っていまして。

多分語りきれてないですよね。

肉おじさん:

そうですね。

やっぱり色々なところで飛び飛びで喋っていますからね。

本をまとめて、ここになんか凝縮したいですね。

山本:

そんな番組でやっていきたいなと思っていますんで、よろしくお願いします。

ということで初回なんですけども、今日はですね、会社を立ち上げて26年ですか。

肉おじさん:

もう26年……。

26年ですよね。

1999年の4月に店を始めているので、だからもう26年、27年目ですね、もうちょっとで。

山本:

すごいですね。

27年目。

まあ歴史がそれだけあるので、今回は何回かにわたってになると思いますが、格之進の歴史を振り返りながら、肉の歴史も変えてきたといっても過言ではないと思いますので、その話をどんどんしていきたいなと思います。

ということで初回なんですが、歴史を順番にたどっていくといいかなと思っていまして。

格之進の誕生のところですね、もしくはその前かもしれませんが。

どういうふうに始まっていったんですか?

牛を売る仕事は、当時の車のディーラーだった

肉おじさんは、祖父の仕事だった「馬喰(ばくろう)」の説明から始めます。牛や馬を売り買いする商売です。当時の牛馬は食べるためではなく、荷物を運ぶための存在でした。

肉おじさん:

はい、そうですね。

まず、そもそもが、じゃあなぜそういう焼肉店とかね、牛の仕事を始めたのかっていうところから話していくと、もともと私のおじいさんという方が、「馬喰(ばくろう)」という牛の売り買いをする人たちがいるんです。

山本:

ありますね。

肉おじさん:

牛の売り買い、馬喰というと、東京だと馬喰横山とか馬喰町ってあるんですよ。

あれはどういうところかというと、そういう牛の売り買いや馬の売り買いをするような人たちが集まっている場所なんです。

多分、市場とかあったと思いますよ。

その牛とか馬の市場っていうのは。

食べるための市場じゃなくて、輓曳(ばんえき)、要はその運搬具としてです。

昔は汽車とか電車とか、あとはトラックや車とかがなかったから。

山本:

はい、なるほどですね。

肉おじさん:

だから、その代わりに牛や馬を使って荷物を運んでたわけですよね。

山本:

あーなるほど。

わかりやすい。

肉おじさん:

まあ、それが馬喰っていう。

だから今で言うと、車のディーラーみたいな感じですよね。

今じゃね、いっぱい車のディーラーありますけど、あれが要は前のその馬喰と言われているような人たちで。

車によって燃費が違うでしょ。

同じように牛でも馬でも違うし、例えばカローラとフェラーリって同じ車でも特性違うじゃないですか。

山本:

はいはい。

そうですね。

肉おじさん:

それも牛も馬もやっぱり特性が違うから、何用に使うのかによって、「この牛はこういう気性だから、こういう性格だからこういうのに使うといいよ」とか、「これは体が大きいから力強く引っ張るものがいいよ」とかね、例えばの話ですよ。

山本:

あ、でも運搬用に牛も使われたんですね。

その馬のイメージが。

肉おじさん:

それはそうですよ。

平安絵巻なんか見ると牛車(ぎっしゃ)ってあるじゃないですか。

もう平安時代から絵巻に入ってるぐらいですから。

今はなんか近代化っていう中でね、もう牛とか動物とともに共生するっていう世界がどんどん隔離されていってますが、昔はそういう動物たちと、やっぱり協力し合って生きてたっていうふうに言ってもおかしくないと思うんですよね。

もう鶏だってそうですよね。

昔は自分の家の庭で鳥がいるから鶏じゃないけどさ、自分のところで卵を出したものを自分たちで食べたりとか。

まあ、それがもうこの世を去るときには、みんなでそれを感謝しながら食べたりとか、そういうようなことが日常的にあったものが。

山本:

そうですね。

肉おじさん:

まあ、どんどん近代化とか産業革命によって大きく食の環境って変わってきましたよね。

っていう中で、私のおじいさんはそういう馬喰という牛の売り買いをする元締めみたいなことをしていて、岩手県南、宮城県北の牛を集めて。

> 馬喰(ばくろう)……牛や馬の売り買いを仲立ちする商売。自分で育てて出荷するのではなく、農家と農家をつなぐ役割を担っていた。

「陸中門崎」という地名から、社名は来ている

会社名の由来にあたる地名が、ここで出てきます。岩手県一関市の大船渡線にある駅の名前です。祖父はそこから東京へ牛を送り出していたと語っています。

肉おじさん:

それを岩手県の一関市にある大船渡線という線があるんですけども、通称ドラゴンレールとか呼ばれたりしてますけども、一関っていう盛岡と仙台のちょうど中間点がだいたい一関なんですけども、そこの駅から。

気仙沼の方に向かって、気仙沼大船渡の方に向かってつながっている線が大船渡線だったんですね。

そこの2番目の駅に「陸中門崎(りくちゅうかんざき)」、門の先って書いて門崎ってみんな呼ぶんですけども、陸中門崎駅という駅がありまして。

そこにですね、岩手県南、宮城県北から歩いて牛を集めて、それを東京の芝浦に出荷するような仕事をしていたんですね。

山本:

へえ。

なるほど。

肉おじさん:

そうなんですよ。

そんなふうなところから、おじいさんがやっているところから始まりで、うちの父もそういう家畜商という牛の目利きですね、をやるようになって。

父がいろんな馬喰さんが集めた牛を集めて、東京に行って売ってきたんですよね。

貨車一両分と、伊勢牛一頭が同じ値段だった

ここから、父の代の話に移ります。東京の市場で目にした価格差が、その後の行動を決めました。産地間の評価差が、そのまま売上の差になっていた時代の話です。

肉おじさん:

東京の芝浦に牛を積んでいったらですね、貨車一車(いっしゃ)に8頭か12頭入ったそうなんですよ。

その一車8頭から12頭、ちょっとどっちか数字覚えてないんですけど、8頭か12頭入った一車の牛全部の売上の金額と、「伊勢牛」と呼ばれていた一頭が同じ値段だったそうなんですよ。

山本:

ほうほうほうほうほう。

肉おじさん:

約10倍高く、伊勢牛って言われる今で言う松阪牛ですね、その当時伊勢牛って呼んでたんですけども、この伊勢牛、松阪牛一頭に対して、うちの父が貨車一車一両分ですね、の牛を積んでいった時の売上金額が一緒だったらしくて。

山本:

電車一両分。

ああー。

肉おじさん:

それで、いつか自分もそういう牛を扱えるようになりたいっていうふうに思って、その伊勢牛の大元はどこにあるのかっていうことで、但馬(たじま)っていう、要はその兵庫県の方ですね、そこまで勉強しに行ったそうなんです。

そうやって但馬牛の元、松阪牛の元、但馬牛であったりとか、そういうところの産地に行って、どういう牛が良しとされているのかみたいなことをみっちり目で学んできたんですよ。

読み書きができない目利きが、なぜ選ばれたのか

父は戦争の時代に育ち、読み書きを得意としませんでした。それでも東北を代表する目利きと呼ばれるまでになります。何を武器にしたのかを、肉おじさんが具体例で語っています。

肉おじさん:

その時にですね、うちの父はまあ戦争という時もありましたので、そんなにやっぱり勉強できてなかったんですよね。

うちの父は北海道に、岩手出身も当然岩手出身なんですが、北海道に行って馬を曳きながら牛の木出し(きだし)をするような仕事をしていたんですけども、うちのおじいさんから呼び出されて手伝うようになった。

そこから馬喰の道が始まっていってるんですけれども。

で、うちの父はそのような牛と一緒に生活するような仕事をしていたので、牛のこと、動物のことは詳しいというか対応できても、やっぱり読み書きが得意じゃなかったんですね。

なので、本当にすごくわかりやすい例が、うちの父は自動車学校に行って免許取るまで3年かかってるんですよ。

山本:

おお。

そうか筆記試験ありますもんね。

肉おじさん:

そうです。

筆記試験の時に問題を読めないんですよ。

山本:

ああ、でも時代で言うとね。

そういう方も結構いらっしゃったでしょうね。

肉おじさん:

もう昭和10年生まれだったので、読めないっていうのは全く読めないわけじゃないんですよ。

やっぱりいつも見聞きで喋ってたんで、だから喋ったことをすごい記憶してるんですよ。

ただ、文章を読んで考えるとか理解する力がなかったんですよね。

だからよく言ってたのが、「あんな免許なんて、口頭で言ってくれればすぐ答えるんだけども、その決まった時間の中で文章を読んで理解して返答する時間がない」らしいんですよ、どうも。

山本:

あーでもそうでしょうね。

肉おじさん:

っていうふうなところで、読み書きができなかったんですが、見たものとか聞いたものを記憶する力なんかすごかったんだと思いますよ。

まあ、なので、そういう目利きで見たものをしっかりと覚えていて、それで牛の選別ですね、のところに生きてくるんですけれども。

読み書きができない分だけ、見たものとか聞いたものを記憶する力なんかすごかったんだと思いますよ。

山本:

はあ。

なるほどね。

肉おじさん:

ま、それで結局、牛の「素牛(もとうし)」っていう子牛や、「繁殖牛」っていう母牛ですね、これの見方のポイントを一発で覚えたみたいなんです、どうも。

山本:

ああ、やっぱりそれ全然違うんですか?

選ぶと。

肉おじさん:

違います、違いますよ。

但馬のそういうところを勉強して回って、蓄積した知識を持ってきて、岩手に戻って「子牛市場」で牛の目利きが始まってったんですね。

まあなので、よくうちの父は「馬喰っていう仕事は何かっていうと、もともとは自分で育てて大きくして出荷するという仕事ではない」と。

農家さんと農家さんをつなぐような仕事が馬喰なので、商売人なんですよ、基本的には。

だから、昭和の、私1971年、昭和46年生まれなんですけども、昭和40年、50年頃に、生産者農家さんに子牛市場で買ってきた「これがいいぞ」って牛を売るわけですよ。

それを農家さんは約1年半後、20ヶ月後ぐらいに出荷するので。

そうすると、うちの父から買った牛がみんな高く売れると。

そういう評判がどんどん高まっていって、農家さんはうちの父親のもとに日参して、「牛をうちにも売ってくれ、売ってくれ」みたいな感じで。

市場から目利きした素牛が良いと渡して、そこでやっぱり1年半経つと、他のところでは100万でしか売れないのに、自分のところで売れると150万で売れる。

昔100万ってあまりなかったので、150万っていうのも稀にありましたけど。

今もうチャンピオンを獲ると、神戸牛なんかだと何百万と平気で行きますけど、そういう時代の中で。

(金額はいずれも本人の記憶・体感によるもので、公的な統計での裏付けは取れていません)

> 素牛(もとうし)……これから育てて出荷する子牛のこと。繁殖牛は子どもを産む母牛を指す。

一農家2、3頭だった牛が「三つの福」と呼ばれた理由

当時の農家にとって、牛は肉になる存在ではありませんでした。畑の肥料、稲わらの消費、子牛による収入。地域の中で循環する仕組みそのものだったと語っています。

肉おじさん:

あくまでも農家さんにとっては副産物なので、牛を飼いながら、だいたい牛って昔は一農家あたり2頭から3頭ですよ。

10頭いるっていうのはあまりなかったですよね、農家でね。

10頭を超える農家さんっていなかった。

理由はなぜかというと、皆さんその時、兼業農家だったので、自分の畑や自分の田んぼに肥料として使う分の牛、要はその堆肥(たいひ)ですね、堆肥の生産として飼っていたという側面もあるんですよ。

山本:

はい。

ああ、そっちなんですね。

肉おじさん:

それともう一つは、お米を皆さんその当時作っていたので、お米を取ったときに稲わらが余るんですよ。

稲わらは餌になるので、実はね、地域循環してたんですよ、牛によって。

山本:

あ、巡ってたんですね。

肉おじさん:

そうなんです。

なので、そういうふうな地域循環するものとして、牛ってとてつもない媒体だったんですよ。

山本:

なるほど。

あ、そうか。

確かにまあ出荷するってなると本当にね、移動もすごく大変だろうし、当時それで言うとやっぱ地域の中で回っていくっていうのが効率良かったんですね、きっとね。

肉おじさん:

なので、昔っていうのはブランド牛とかそういうのなかったんですよ。

なぜかというと、豚肉もそうですけども、循環してたんですよその中で。

基本は地域に屠畜場(とちくじょう)があって、そこで屠畜されて、豚肉も牛肉も昔は流通してたんですよ。

だから「なんとか牛」とか「なんとか豚」っていうのはなかったんですよ。

地元のみんなが食べてる豚。

それが結局ブランドになっていった理由っていうのは、どんどん資本主義社会が発達していきながら、いかに安く、いかに大量に、っていうふうになってくると、その地域では消費しきれない量を作り始めるんですよ。

そうすると、その地域じゃないところでも消費するような戦いが始まっていったっていうところがブランドの始まりで。

違いを出すために名前を明確につけて、「これはどこどこの何々だ」っていうふうに言うような形になる。

これはまあ間違いなく産業革命の影響は受けていますよね。

まあ要はなぜかというと、牛肉、豚肉っていうのは一般的には冷蔵保存になっているので、そうすると冷蔵ないし冷凍で長い距離を移動させなきゃいけないんですよ。

私があの、もう本当に今から50年前、40年前に、九州の食材がスーパーマーケットで売ってるなんてなかったですよね。

だって地元で作られてるんだもん。

お魚なんかもそうですよね。

九州のお魚が40年前、50年前、東北で売ってたかって言ったら、東京にさえ来てなかったと思いますよ、多分。

コールドチェーンが全然できてないので、届くまでに二日三日かかったら魚とかね、やっぱり大変じゃないですか。

山本:

そうですよね。

肉おじさん:

っていうふうなところの背景があった。

まあ、ちょっと話を戻すと、そのように3頭から5頭しか飼ってなかった理由は、自分の畑で使う分の堆肥があればいい、そこで採れた稲わらを食べてくれればいいと。

食べていると、雌牛であれば、そこに種付けすると子どもが生まれて、さらに収入が入る。

っていうふうなところで、牛を飼っているっていうのは「家に三つの福をもたらす」っていう風に言われるような大切な生き物で。

だから、ただ大きくして食べるっていうものではなかったんです、もともと。

輓曳にもなるし、子どもも産んでくれるし、雌牛であればね、堆肥も生み出してくれる。

で、なおかつ稲わらまで食べてもらえる。

っていうような循環するものとして、ものすごく身近な存在が牛だったんですよね。

山本:

なるほどね。

そう考えると、確かに本当に日常身近に一緒に暮らしてたっていうのはなんかしっくりきますね。

肉おじさん:

そうなんですよ。

なので、なんかすんごい特別なことじゃなくって、地方に行ったら牛を飼ってるって普通だったんですよね、むしろ。

馬も飼っているところもありましたからね、昔、30、40年前、50年前になってくると。

鉄道とトラクターが、牛の役割を奪った

ここから話は、事業の前提が外部要因で崩れる場面に入ります。鉄道と自動車が普及し、牛と馬は運搬の役目を失いました。用途が消えた家畜が、食べるものへと移っていきます。

肉おじさん:

で、どんどんじゃあなぜお肉がね、特に牛とかがあの食べられることを目的に育てられるようになったのかっていうふうに言うと、実は本当に先ほども言いましたが、産業革命がものすごく実は影響していて。

産業革命により効率が上がるようなことに注目されていくわけですよね。

特に牛や馬というものは、産業革命によって生まれた汽車とか電車とか車とか、そういうような移動手段によって、長距離えっと、大量にものを動かせるような時代になって、牛や馬で運ぶことよりかは効率が良くなったから、牛や馬がどんどん日常から消えていったっていうところ。

それで食べられるようになっていったっていうところが背景としてありますよね。

山本:

ああ、そっか。

なるほど。

移動……そうか、もともとは移動用ですよね。

肉おじさん:

そうなんですよ。

それと、やっぱ考えていくと、牛って実は……明治維新が……1868年。

山本:

はい。

そうですね。

肉おじさん:

牛や豚っていうもの、馬とかっていうものは、もう立派な移動手段だったので、食べるように育ててたってことではないんですよね。

山本:

そっかそっか。

もう全然役割が変わってるんですね。

肉おじさん:

そうなんです。

「牛肉を食べてはいけませんよ」っていう風な儒教の問題もあり、解禁されたのが……人形町今半さんがあの2月に食べ放題やってますよね。

1月かな。

あれ、「明治天皇 牛肉」で検索すると多分出てくると思いますよ。

山本:

なるほど、「文明開化の一環として食肉奨励を目的に、初めて牛肉を明治天皇が1872年に食されました」と。

確かに教科書でなんか見たことある気がしますね。

肉おじさん:

明治維新が1868年。

その4年後ですよね。

だから明治維新になって世の中にこう解放したら、「牛肉食べてみんな食べようぜ」っていう風に言い出したって話なんですよ、単純に言うと。

山本:

そっか、あの牛鍋のあのやつ、教科書で見ましたね。

多分みんなわかると思う。

肉おじさん:

そうで、ここがね、ものすごく実は密接な話で、じゃあなぜ明治維新が起きて西洋の文化が取り入れるようになって、で、ま、その数年後に「牛肉食べてみんな食べようぜ」って言い出したかっていうと、これものすごく経済的な背景があって。

明治維新ということは、まあの幕末の藩士たちがヨーロッパに行って、あの向こうの超近代的な世界を見てきたわけですよね。

で、西洋の中にはもう汽車があったわけですよ。

で、産業革命を目の当たりにしたわけですよ。

大量生産して、家内制手工業から産業になって、大きな設備で大量に作って販売をするという動きになったわけですよね。

それを目の当たりにして、明治維新の後に様々、西洋の産業革命で発明されたようなものがどんどん導入されていったわけですよ。

そういった中で言えば、一番大きかったのはやっぱり鉄道ですよね。

鉄道が始まることによって、どんどん移動手段が奪われていったんですよ、牛が。

山本:

そうか、そうか。

肉おじさん:

そうすると、各家庭に移動手段、輓曳のためにとか、もうそもそも使われなくなってきませんか?

だから全国で牛がじゃあちょっともう十分かな、と。

で、トラクターも出てきて。

ね、そうすると、牛の……畑や田んぼを牛や馬で耕すということを必要とされなくなったじゃないですか?

なので急激に牛が使われなくなったんですよ。

それで始まったのが「牛鍋ブーム」なんですよ。

山本:

はい。

ええ。

じゃあってことは、だからその、欧米に使節団として行って鉄道を見て、で帰ってきて「牛いっぱいいる、ここは日本にも鉄道」っていう流れの中で、牛がいらなくなる、じゃあこれ食の方にっていうのを先に予見してそういうことをやっていこうっていうふうにやったってことですかね?

肉おじさん:

予見したかどうかわからないんですが、いわゆる鎖国をしていたものを開国して、ヨーロッパの人たちがお肉を食べる、お肉を供給できないというところが一つの大きな問題だったとは思います。

山本:

ああそっか。

肉おじさん:

だから、そういうものと、ま、やっぱ西洋の文化の中で牛肉っていうものは……そうですね、まあ、国が豊かじゃないとお肉って食べれないんですよ。

これ知ってます?

山本:

うーん。

え、また行きますか?

ディープに。

肉おじさん:

ディープに行く前にちょっとそっち行っちゃうと、そっちの話になっちゃうんで、じゃあちょっとそれは後で取っておきましょう。

山本:

そうですね。

また別の回でぜひやりましょう。

牛肉が鶏より豚より安かった時代に、何が起きたか

供給が一気に増えれば値段は下がります。逆に供給が消えれば値段は上がります。牛鍋屋の隆盛と衰退は、その両方を百年足らずで経験した事例として語られます。

肉おじさん:

そのようにですね、産業革命が始まって牛や馬が使われなくなって、日本では大量に牛が溢れてきたんですよ。

なので、牛鍋っていうものが広がって。

で、実は牛鍋って言ったら、鶏、豚、牛の中で、今スーパーマーケットに行ったら一般的にはどういう順番で一番高いのは何ですか?

山本:

牛ですかね?

牛。

はい、その次が豚、で鳥の順番ですよね。

肉おじさん:

そうですね。

もう今普通にトリ・ブタ・ギューの順番で高い順番なんですよ。

その当時、一番安かったのは何かっていうと、牛肉だったんですよ。

鶏肉よりも豚肉よりも牛肉の方が安かった時代があるんですよ。

山本:

へえ、そうなんですね。

肉おじさん:

これなんでかっていうと、需要と供給の話です。

山本:

はい。

ああ、最初牛食べる習慣が最初はなかったと。

肉おじさん:

そう。

まあ、例えばなかったっていうこともあるし、大量に急激に産業革命によって全国的に起きたわけですよ。

牛や馬が使われなくなってきた。

まあ地方は、あの牛肉いくら明治天皇がね、「いいよ食べて」って言っても、やっぱり地方はやっぱ独特の文化がやっぱり根付いているので。

海外の人もいるわけじゃないですから。

そうするとやっぱり牛肉食べていいって言われてもね、みたいな。

そもそも風習ないよね、何百年も、みたいな。

山本:

はいはいはいはい。

そっか。

肉おじさん:

そういう状況の中で、まず皆さんは東京にものを送ってったわけですよね。

うちの父やうちの祖父やうちの父がやったように。

で、溢れてきている牛を東京に送ると東京では消費されていると。

でも供給過多だったんですよ。

そうすると「牛鍋屋」っていうのは今の人口比率で言ったら、コンビニよりも多かったらしいですよ。

山本:

ええ。

そうなんですね。

肉おじさん:

なぜかというと、安い金額で供給できるから。

だから、そのお肉を昔は味噌だれみたいな味噌漬けみたいなものにして、鍋で焼きながら食べたりとか、茹で焼き煮をしながら食べたりとか。

だから牛鍋、そういうようなものだったんですよね。

で、味噌漬けにすると、賞味期限がやっぱり、まあ物が腐敗せずに保管できるので。

ま、そういうようなところがあって、味噌から醤油になったみたいに。

山本:

へええ、じゃあ当時の肉はやっぱり今ほどその本当食肉というか、こう改良されてない感じだったんですかね、味自体も。

肉おじさん:

今とはもう全く違いますよ。

その当時の学力というか……まあ全く違います。

なぜかというと、牛は基本的に食べさせるために育てていなかったので、その当時は。

食べるためっていうノウハウがなかったので。

山本:

そうですよね。

肉おじさん:

ただ、血統によっては大きくなりがたいものだったりとか、そういうふうになると旨味が強いって言われてた時もあったということもあったと思います。

ただ、おいしく食べることを目的に牛を育てるというふうなことは、今ほどはなかった、なかったことは間違いない。

山本:

へえ、そうなんだ。

それは知らなかったですね。

値段の逆転が起きてたっていうのは。

(牛鍋屋の店舗数や当時の価格順は、いずれも本人の記憶・体感によるもので、公的な統計での裏付けは取れていません)

高級店に上げたところだけが残った

需要が消えたのではなく、供給が消えた。原価が上がったとき、安さで成立していた業態は続きません。すき焼きの専門店に何が起きたかを、肉おじさんは店名を挙げて説明します。

肉おじさん:

そういうことが起きて、だから牛鍋っていうのが、世の中にわーっと広がったんですよ。

で、牛が全国からずっと集まり続けてきて。

でもね、必要じゃないから出荷しているわけじゃないですか?

その先ってどうなると思います。

山本:

いや、思っちゃいますよね。

……加工いろいろしてる?

肉おじさん:

いや、その状況って続くと思いますか?

山本:

続かないですよね。

無駄になっちゃったらやる人がいなくなっちゃいますよね。

肉おじさん:

いや、言いたいことは、産地で余計だから出荷してたわけですよ。

そうするともう余計じゃなくなってきたらどうなるかっていうと、もう出すものがなくなるんですよ。

それで値段がどんどん、原価って上がっていったんですよ。

山本:

そうですね。

ああ、需要と供給の。

肉おじさん:

供給ができなくなるわけじゃないですか。

もともとだっていらないから、もう使わないからもういいよっていうふうにやってたものが、もう使わないものをずっと作り続けるわけがないじゃないですか?

だから供給量が減ったんですよ。

供給量減ったら必然的に値段高くなるじゃないですか。

だって豚よりも鳥よりも豚よりも安いから買ってたのに、みたいな。

山本:

そうですね。

肉おじさん:

だから、コンビニのようにたくさん安く売れるからコンビニは安いわけじゃないけれども、たくさん売れるからやってたのに、原料が高くなっていくとどうなると思います、牛鍋屋さん。

ということなんです。

だから今「牛鍋」って言われているすき焼きの専門店って、潰れますね。

すき焼きの専門店で全国に何店舗あると思います?

山本:

すき焼きの専門店。

あんまりあるイメージないですね。

肉おじさん:

でしょ。

実はすき焼きの専門のお店っていうのは全国に30もないらしいんですよ。

岩手ですき焼きの専門、もう夏も冬もすき焼きしかしませんっていうところが、岩手県内にないと思いますよ、多分。

山本:

はいはい。

ああ、確かに焼肉屋いっぱいありますけどね。

肉おじさん:

だから、すき焼きの専門店っていうのは、みんな高級店しか残ってないんですよ。

山本:

確かに。

そっか。

肉おじさん:

そうなんです。

だから、例えば人形町今半さんとかね、例えば、まあそこが多分日本で一番大きいんじゃないかな、すき焼き屋さんでは。

とか、あとは日山さんっていうところとか、銀座吉澤さんとか。

まあ本当にそこそこ値段はしますよ。

やっぱり一人1万から3万ぐらいはしますよ、食べたりしたら。

でもそういうように大衆料理だったものを高級店に引き上げたところだけ残ってるんですよ。

山本:

ああ、そうなんだ。

いや、面白いですね。

肉おじさん:

だから結構ね、ここだけでもすごい学びがあって。

ここ百年もしないような話なので。

山本:

ですよね。

すごいはい。

肉おじさん:

そうです。

だから、たった百年の間でこんなに変わったんですよ。

一番鶏・豚よりも安かったものが。

山本:

そうですね。

めっちゃ変わってますね。

肉おじさん:

まあ、だからそれでいくと何年前だろう。

もう百年も前じゃないと思いますよ。

もう本当にあの鉄道が普及していたところとか、トラックが普及していったところとか、トラクターを変えるようになったっていうのは百年前じゃなくて、もっと手前ですから。

もうその間で急激に変わってったんです。

だから、高級店にできたところだけが残っているっていう風な状態なんですよね。

山本:

なるほど。

肉おじさん:

だから結構ね、牛一つとか牛とかお肉を通じても世界経済語れたりとか、日本経済を語ったりとかできる理由が、結構牛って、様々な局面から人間と密接に生きてきているので。

ものすごい経済とも連動してるし、面白いんですよ。

国によってね、牛が全然違うので、ポジションが。

(すき焼き専門店の店舗数は本人の記憶・体感によるもので、公的な統計での裏付けは取れていません)

商談は、こたつの下で手を握って決めていた

初回の締めくくりに、話は再び父の仕事場へ戻ります。事務所を持たない家業の商談風景は、いまの格之進の原点でもあります。

山本:

そうですね。

もう肉の、まあ牛の話だけでめちゃくちゃ面白い結果。

肉おじさん:

今、今まだこの家系の話ですからね。

家系の話でもう多分30分ぐらい経ってると思います。

山本:

そうですよ。

まだ格之進にたどり着かずということで、初回、ちょっと一旦ここで切ろうと思いますけども。

肉おじさん:

はい、まあまあそんな感じでね。

あの、要は牛を出荷していたところで、「伊勢牛」っていう松阪牛を見て、父が勉強して、そして、岩手でも一応牛の目利きとしては、まあ本当に東北を代表する中の一人というふうに言われてもおかしくないような呼ばれ方を昔はしてましたよね。

農家さんはものすごい喜んでいて。

山本:

ああ、それは覚えてるんですか?

ご自身も。

肉おじさん:

うちの父は目利きしたものは高く売れるから、うちにも売ってくれ、うちにも売ってくれっていうふうによくうちの家に農家さんがお願いしに行きましたよ、本当に。

もうだってうちの「馬喰」っていう家業は、基本的に事務所とか持ってないので、家なんですよ。

茶の間に農家さんが来たり、獣医さんが来たり、餌屋の社長が、営業マンが来たり、馬喰仲間が来たりして、茶の間で相談なんですよ。

山本:

商談なんだ。

肉おじさん:

で、その茶の間のこたつの下で手を握り合って値段決めてるんですよ。

こうやって「これでどうだ」って。

山本:

へえー。

そうなんだ。

っていう、まあ、お父さんの時代があった上で格之進が生まれていくんですが。

肉おじさん:

そうです。

まだまだ生まれるまで時間かかりますけど。

山本:

はい、次回また話していこうと思いますんで。

第一回、いきなり濃い話。

これ他でネット上で話してる話でした?

ですよね。

きっとこんな語れる、ほどね。

時間限られた中で、多分ここまで行かないと思うので。

肉おじさん:

はい、そうですね。

多分話してないと思います。

山本:

なんか多分ね、これ肉好きの方以外にも面白がってもらえるところかなりあると思うんですけど、今日で言えば歴史の話も入ってきてますし、もうこれはいろんなところに脱線しながらお届けしていこうかなと思ってますんで。

ぜひ次回以降も聞いていただければと思います。

牛の役割は、その持ち主の都合ではなく、鉄道やトラクターという外側の変化によって決まりました。用途が消えれば供給が溢れ、値段は落ち、店が増える。供給が尽きれば原価が上がり、安さで成り立っていた業態は消える。残ったのは、同じ料理を別の価値に置き換えた店だけでした。格之進が生まれる前夜の百年に起きていたのは、そういう出来事です。次回は、この家系の話から創業へと近づいていきます。

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